中学時代から日本史に興味があり、プロレスの巡業先では時間を見つけ神社仏閣、城郭などを見て回るのがライフワークでした。15年程前から郷土史に関心を持つようになります。足利は歴史と文化のまちです。文化財も集中しており、国指定重要文化財は県全体の約21%、国宝は約29%を所有しています。(※1)しかし「その強みを活かし切れていない」と感じる様になり、それが市議選に出馬するきっかけとなりました。
さて、この連載では足利市の歴史スポットやまちの歴史について、意外と知られていないことを中心にご紹介していきます。
第1回は【渡良瀬橋】です。
現在の渡良瀬橋ですが、実は3代目であることをご存じでしょうか。そもそも、渡良瀬橋ができるまで、足利には渡良瀬川を渡る永久的な橋は存在しませんでした。足利は南北に分断され、往来するには渡し舟や不安定な木橋を使いました。川を渡ることが簡単ではない時代です。
そんな中、初代渡良瀬橋は明治35年に完成しました。木製ではありますが橋脚は安定した石積みです。そこには「イギリス積み」という西洋のレンガの技法が織り込まれ、和洋折衷となっています。夢の架け橋は多くの人に利用され、織物産業の隆盛もあり車の往来も多くなりました。結果、木製の橋は15年で老朽化し架け替えを余儀なくされます。2代目は大正6年に完成しますが、こちらも17年程度で老朽化します。そんな折、陸軍の大演習に合わせ、昭和天皇が足利を行幸されることが決まります。その際、軍の戦車が通行できる頑丈な橋が必要となり、昭和9年に鉄製の橋に架け替えがされました。
渡良瀬橋は3代目完成から90年、橋脚や橋台(左岸3つ)は122年現役で使われています。(※2)深く長い歴史があることを知ると、いつもの渡良瀬橋から何か違うものが伝わってくるかもしれません。
※1…栃木県、足利市HPなどを参照し点数を比較し独自に計算。
※2…令和6年時点
★【あしかが歴史紀行】は2011年から2018年にかけてタウン誌『COMPANY?』『COMPANY43』で連載させていただいた【ふるさと歴史紀行】を再掲したものです。事実確認や状況の変化に合わせ、内容を一部改訂しています。