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足利市民の憩いの場である織姫神社は織物産業の守り神として、江戸時代から市民の信仰を集めてきました。そんな織姫神社ですが、実は防火対策を入念に取り入れた神社であることはあまり知られていません。

江戸時代、現在の通りに鎮座していた八雲神社に織姫神社はありました。明治12年神社の整理に伴い今の場所に移った織姫神社は、当時隆盛を誇った足利織物の新たなシンボルとして、多くの信仰を集めるはずでした。しかし翌13年、350戸を焼く大火事により跡形もなくなってしまいました。

そもそも近代、足利は火事の多い街でした。燃えやすい糸や織物が集積し、しかも古い街のため道幅も広くありませんでした。そのため明治から昭和にかけて数十から数百戸規模の火災が繰り返し起きていました。そこで、織物の街で火災を絶対に起こさないという決意の元、殿岡利助(現アキレスの創設者の父)をはじめとした足利の織物業界の有力者が動き出しました。街中に上水道を張り巡らせ、当時日本で3番目に早い火災報知機の導入を実現しました。そして当時としては最新の技術である鉄筋コンクリートで社殿を作るという奇抜なアイデアで、織姫神社は蘇ることとなります。コンクリートであれば火に強く耐久性が高いと考えられたようです。その他にも階段の手すりが実は消火栓になっていて、いつでも神社に水をかけることができるようになっています。

昭和12年に再建された織姫神社は、火災に対する備えの大切さを今に伝える歴史的遺産でもあります。境内から一望できるきれいな足利の風景を失わないためにも、日頃から火災に対しての意識を持ちたいものです。