今から69年前の昭和22年9月15日、戦後間もなく物資や食糧が不足する日本をカスリーン台風(またはキャサリン台風)が襲いました。

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停滞していた前線の影響もあり、記録的豪雨となった関東地方では、多くの河川が氾濫し、大きな被害をもたらしました。
特に利根川水系では被害が大きく、全体で約1100名の死者・行方不明者を出しました。
その中でも最も被害が大きかったのが足利市です。足利市だけで死者・行方不明者321名、家屋半壊257戸、家屋流出372戸、床上浸水11976戸にのぼり、市内全体の約8割が床上浸水する事態となりました。
 
特に渡良瀬ウォーターパーク近くの、十念寺堤防の決壊による被害は甚大でした。
この堤防付近には岩井山という小さな山が、川の流れを遮るようにあります。そのため川が屈曲し、激流が衝突し、石が堆積し川底が隆起していたため、堤防決壊につながったと言われています。
 
お年寄りや、生まれたばかりの赤ん坊など、多くの市民の命が一瞬で奪われました。
翌朝には泥に埋まった遺体がいたるところで見つかり、地獄のような惨状だったとのことです。
 
毎年、9月15日は地元の慰霊碑保存協議会の方々により、慰霊のための法要が岩井橋北側堤防の慰霊碑前で行われます。その際、同会代表の源田住職により犠牲者全員の名前と年齢が読み上げられます。
 
カスリーン台風の教訓を生かし、国は河川改修計画を大幅に見直します。当初予定していた流量を倍の4,000㎥/sとし、水位が上がった際に川の流れを二手に分ける『岩井分水路』が昭和42年に完成しました。
分水路完成後、足利では渡良瀬川が氾濫したことは一度もありません。

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しかし、だからといって今後絶対、渡良瀬川が氾濫しないとは言い切れません。想定外が通用しない気象状況が日本を襲い続ける現在、最悪の状況を想定した対策が求められます。
 
現在、国では渡良瀬川の更なる改修を進めています。堤防が低いところ、薄いところ、川幅が狭いところを順次改修しています。
しかしそれが完成するのを台風や集中豪雨は待ってくれません。河川改修や避難所整備といったハード面での準備も大切ですが、防災教育、避難訓練、自主防災組織育成などソフト面での対策も重要です。
 

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また、来年はカスリーン台風から70年の節目を迎えます。

足利で起きた最大規模の災害を忘れないため、亡くなられた方々を慰霊するため、足利市全体で慰霊祭や記念行事などを行うことも検討すべきだと考えます。
 
戦争もそうですが、70年も経つと経験者が亡くなられ、その惨禍を伝えられなくなります。
私自身も、経験者の話を聞いたり学んだりする中で、市民の生命と財産を守るために何が最善か、しっかりと考えていきたいと思います。
 
※写真/『カスリーン台風災害記録集』より