去る2月10日に行われた「百頭空襲戦災者慰霊祭」に参列させていただきました。

【下野新聞動画】
http://www.shimotsuke.co.jp/dos…/news/local/20150210/1865608

今年2015年は終戦から70年目の節目の年です。第二次世界大戦では世界中で未曽有の死者を出しました。日本はアメリカを中心とした連合国と戦い、軍関係者174万人、民間40万人の方が亡くなりました。※諸説あり
もちろん戦争は相手方にも多くの被害を与えます。第一次大戦後、戦争は軍人のものから国民全体のものになりました。国民国家による総力戦になりました。そして兵器の目覚しい発達により被害も拡大していきます。

そんな第二次大戦では日本国内の主要都市に対し、アメリカ軍の空襲が連日行われました。両毛地域では当時多くの戦闘機を生産していた太田・大泉の中島飛行機(現・富士重工)が標的となりました。
昭和20年2月10日のことです。太田市を襲ったB-29は多くの爆弾の雨を降らせ、瞬く間に150名の命を奪いました。同じ日、足利にも空襲があったことはあまり知られていません。
足利市百頭(ももがしら)町というわずか76戸の町に、なんと250kg爆弾83発と無数の焼夷弾が落とされました。爆弾は多くの民家を直撃し、老人や子供など33名が亡くなりました。のどかな田舎町が一瞬にして筆舌に絶えない修羅場と化したそうです。
なぜこのような小さな集落が狙われたのか、正確な理由は分かっておりません。爆撃手の過失、百頭町で計画があったとされる軍需工場への威圧など諸説あります。終戦後、爆弾で空いた穴に水が溜まり「爆弾池」と呼ばれ子ども達の遊び場になったそうです。現在その池は整地され姿を消しました。

足利のような地方都市では、東京や広島、長崎、沖縄のような大規模な空襲がなかったため、戦争を感じる機会が多くありません。兵隊だったご年配者に話を聴いてもどこか身近に感じられない部分もあると思います。しかし、足利にも身近に戦争を感じる場所があり、体験した方もいらっしゃいます。平穏な生活が一瞬にしてひっくり返る。戦争の怖さです。

昨今、世界では中東を中心としたISILの活動が盛んになり、日本もテロの脅威に晒される可能性が十分に出てきました。70年前と違い国家間だけではなく宗教や民俗、イデオロギーなど様々要素が複雑に絡み、多くの血が流れ続けています。

戦争は過去の話ではありません。
世界中で現在進行形です。
日本の平和もタダではありません。
多くの血の上に成り立っています。

終戦から70年、国内外で様々な記念式典が行われるます。
ぜひ今一度、日本と世界の戦争と平和について考えてみてはいかがでしょうか。