この足利市の地図は昭和9年に鳥瞰図絵師の金子常光が描いた、観光用のものです。正確なものではありませんが、当時の足利市の状況を分かりやすく表しています。

昭和9年の足利市大観

ここで、注目なのは渡良瀬川の河川敷にある「米長牡丹園」です。2枚目の写真は牡丹園の絵葉書で「関東一ノ米長牡丹園」と書いてあります。河川敷に開設された牡丹の園は、最大5000坪まで敷地を広げ、植物園と共に演芸場やメリーゴーランドもあったそうです。当時は「館林の花山(現つつじヶ岡)」、「大間々のながめ余興場」と並ぶ、両毛地区の有名な行楽地だったようです。

米長牡丹園はカスリーン台風や河川改修で閉園に

また、南には「柿崎藤園」があり、今のあしかがフラワーパークの原形のような、藤のテーマパークであったようです。

柿崎藤園の絵葉書には五色藤の文字が

東にある「南町遊園地」は詳細は分かりませんが、河川敷に開かれた行楽地だったのかもしれません。(※知っている方がいたら教えてください)
つまり、戦前の足利市は既に河川を有効活用して、賑わいと価値を生み出していたということです。
舟運、漁業、織物業はもちろんのこと、レジャースポットや飲食スペースとしての活用がなされていた。そういった発想とバイタリティがもともと足利市民にあるということを示す、ひとつの史実なんだろうと思っています。